どの地域にも必ずある行列のできる店があります。台湾・台東では、ピザ専門販売店の「披薩阿伯(ピザおじさん)」が台東グルメとしてネットで人気があります。

Pete

ピザおじさん本人にお会いするまでは、顔中シワくちゃのお爺さんだとばかり思っていましたが、目の前に現れたピザおじさんは、なんと、太陽がよく似合いそうなイケメンでした。彼は、申し訳なさそうに「子供を東河の学校へ送っていたので、遅れてしまいました…。」と約束の時間に遅れたことを謝っていましたが、その優しい声と眩しい笑顔は、想像していたピザおじさんとは全くかけ離れていました。

1999年、当時、まだ大学を卒業したばかりだった彼は、周りの友達が2、3ヶ国語以上の外国語が話せるのを見て、自分も第二ヶ国語を学ぼうと思いたち、「台湾は熱帯の小島だから、中国語を学ぶ以外にもサーフィンができるかもしれない!」と思い、台湾を訪れました。彼の考え方からも見受けられるように、Peteはサーフィンにとても興味があることがわかります。そして心の赴くままに、直感を信じて行動した彼は、いつしか東海岸のサーフィンの聖地に住むようになったのです。

Peteは、台湾に来た当初は台中に住んでいましたが、ある時、友達とサイクリング台湾1周旅行をしている時に台東を訪れた時に、台東のどこまでも続く美しい海岸線と壮大な山の風景に彼のハートは鷲掴みにされました。しかし、彼に台東に残ろうと決めた理由を詳しく聞いたところ、実は、運命の人に出逢ったことが本当の理由だと話してくれました。Peteの運命の人は、彼と同じ英語塾の先生で、彼らは仕事を通じて知り合いました。Peteは、運命の出会いを果たした台東に、奥様と定住することを決めたのです。彼は、大学で美術を専攻していました。ピザ店の壁に掛けられている幾つもの絵は、すべてが彼の作品です。Peteは修士課程も取得していて、卒業後は台東に戻り台東大学で教職に就こうと考えていましたが、残念ながら相応しい空きがありませんでした。Peteは、「仕事がないなら、ギャラリーでも始めてみよう、ギャラリーでピザを焼いたら、人が集まるかもしれないと思い始めたら、絵よりもピザが売れるようになってしまったんです!」と話し、話し終えると自分でもその結果に吹き出していました。人生には不思議なことがたくさん起こり、物事が思いの寄らぬ方向へ転び、彼はますます有名になっていったのです。

実は一度、お客様とのコミュニケーション不足で誤解が生まれ、そのことが原因で台湾国内のニュースにもなったことがあり、ピザ店の存続危機に関わる事件が起こりました。彼は、当時を振り返りながら「通常、お客様がテイクアウトの予約をした場合、先に準備をしておいて、お客様が到着してすぐにオーブンに入れて3〜5分焼くのですが、あの時は、本当にコミュニケーション不足で誤解が生まれてしまいました。」と話し、このことが、Peteにお客様とのコミュニケーションの必要性を感じさせ、彼はもっと心配りをすれば、このようなことが起こらないと考えるようになりました。お客様にはピザを口に入れた時の食感と温度を楽しんで欲しいと取った行動でしたが、この行動が、誤解を生んでしまったのです。しかし、この事件の後、多くの人がPeteを励ましに訪れました。ある人は店先で、またある人はわざわざ店内に入ってきてまでしてPeteを励ましたのです。まさに、台東人が愛嬌のある人であることがよくわかる行動です!このような励ましのパワーのおかげもあり、Peteはこの事件を乗り切ることができ、今でも美味しいピザを作り続けています。

また、Peteは、台東に定住して十数年間の間に、彼の成功を目の当たりにした多くの外国の友達が台東で商売をしたいと思いながらも、何から始めていいのか分からず、みんながみんな、彼にアドバイスを求めにやって来ると話していました。「台東に、外国人専用の英語商業インフォメーションカウンターを設置すればいいんです!」と提案するは、台東を愛するもっとたくさんの外国人が、大木のように台東で根をおろして定住することで、マルチ文化の融合と交流を実現して、台東がもっともっと活力に溢れた場所になることを望んでいます!