在地外籍人士故事-日文

Dacota

孔子の論語に「知者楽水 仁者楽山(知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ)」とあるように、台東は山と水に囲まれ、汚染とは無縁の自然環境が広がる都市です。アウトドア好きの外国人の憧れの場所でもあり、近年では、台東へ旅行する人がますます増えているだけでなく、この土地でのんびりと暮らしたいと移住を考える人が増えています。 台湾に来て5年ほどになるDacotaは、もともと「バラの街」として有名なアメリカのオレゴン州ポートランドに住んでいました。故郷を思い出しながら「アメリカは、つまらない場所ばかりだけど、僕の故郷はすごく綺麗な場所なんだ。」と話すDacotaの顔は、とても輝いていました。彼にとって、台東と故郷のポートランドはすごく似ている土地なのです。美し景色、澄み切った空気、アウトドアにぴったりの環境、そして、善良な人々がいる台東は、彼を、まるで東方のポートランドにいるような気分にするのです。東方文化を愛して止まない彼は、次のように話してくれました。「当時、台湾の友達がたくさんいたから、台湾の中華圏の世界に行こうと思っていたんだ。ここで教師をすることが、僕の一番の夢だったんだ!」 アメリカで友達と一緒に学んでいた少しだけできた基本的な中国語だけを頼りに台湾に来た彼は、英語を教えて生計を立てるようになりました。「初めて台湾に来た時は、基隆に住んでいました。その時、とても豆花を売っているおばちゃんと出会って、毎日のように何時間も世間話をしながら中国語を覚えていました。」Dacotaは、いたずらな笑みを浮かべながら、英語がうまい友達もいなかったので、敢えて中国語で話すようにしていたと教えてくれました。そして、登山好きの山友たちと登山ルートを考えたりして、中国語を学んでいきました。大自然と触れ合うのが大好きなDacotaは、太魯閣国家公園のボランティアガイドにも応募し、専門課程のトレーニングと試験を見事に通過してボランティアガイドの資格を得ました。彼は得意そうに「僕は、太魯閣国家公園の外語ボランティアガイド代表なのさ!」と自慢していました。 」 しばらく基隆に住んでいたDacotaでしたが、違う生活をしてみたい思いにかられ、都市から離れた花東地区に移り住みました。基隆を離れた彼が最初に行き着いたのは花蓮で下が、さらに南へと引っ越しを続けて、スローライフな台東にたどり着いたのです。「台東のライフスタイルは、とてものんびりとしていて、のどかでとても綺麗な場所です。それに、山深いところでもあるので、スリル満点な登山が楽しめるんです!」暇を見つけては登山活動をする大の登山好きのDacotは、台東の山友に声をかけて一緒に登山を楽しんだり、ソロ登山を楽しみ、高い登山装備を背負って花東地区の大小の山々を征服し続けています。彼にとっては、登山しているときが、現実の騒がしい世界から離れて静かに自分に向き合え、仕事のストレスや嫌なことを忘れられる時間なのです。 [...]

By |2020-08-25T06:57:15+00:008月 25th, 2020|在地外籍人士故事-日文|0 Comments

Adam Matz

人生の大半を一つの国で生活する大部分の人々からすれば、故郷を離れ、これからの未来を自分が生まれ育った環境とは全く異なる場所で歩むなど想像すらできないことでしょう。 現在、東海国小(東海小学校)で英語教師をしているAdam Matzは、フルブライト・プログラムの紹介で台東に赴任していますが、1999年に初めて台湾を訪れたAdamは、台湾と切っても切れない縁と結ばれていたのです。 「その頃、ちょうど卒業して間も無く、仕事を探していたんです。韓国、台湾、そして中国の3つの国が選択できたんですが、そこで台湾を選びました。」Adamは「韓国と私の故郷、シアトルはすごく似ていて、ドキドキ感や特別な場所もなかったので、台湾に来ようと決めたんです。」とゆっくりと話してくれました。 台東以外にも、台中や新竹などに住んでいたことがあるAdamですが、初めて台東に足を踏み入れた時の印象は「すごく田舎だ」でした。2006年に台東に来た時は、英語の標識が少なく、「中国語が全くできない外国人からしたら、旅行がとても不便だ」と思ったそうです。幸いなことに、Adamは東海大学で中国語課程を修得していたため、言葉のコミュニケーションもスムーズで、中国語の読み書きもある程度できたので、台東の地元の生活に馴染むまで時間はかかりませんでした。 [...]

By |2020-08-25T06:31:24+00:008月 25th, 2020|在地外籍人士故事-日文|0 Comments

YaSu屋–峯雪康弘

北は台湾・花蓮県富里鄉、そして、東北は台東県成功鎮と連結する東河鄉は、東河包子で有名ですが、それ以外にも、近年では東海岸国際サーフィンコンテストが開催され、サーファーの人気スポットにもなっています。 3年ほど前に友達と一緒に日本から台湾・東河へサーフィンをしにやって来た峯雪康弘(Yasu)氏は、それからたった4ヶ月の間に台湾・台東に移住する決意をしただけでなく、東河鄉で日本式の居酒屋もオープンさせ、この地で毎日、波と共に笑顔で日の出や日没を迎え、今ではすっかり東部の生活に馴染んでいます。Yasuは「ここ3、4年の間で、台東のサーフィンはますます有名になり、雑誌にも紹介されるようになりました!」と話してくれました。また、日本にもサーフィンができる場所はあるけれども、日本の冬の海水温度が0度以下ととても低いので、日本のサーファーは、近場で暖かい場所にあるサーフィンスポットへサーフィンをしにくると説明してくれました。その場所こそが、台東・東河なのです。 Yasuは、日本にいた頃に飲食店で働いていたことがあり、居酒屋で働いていた経験もあったため、東河で居酒屋をオープンさせようと考えたそうです。また、Yasuが「冬になると、東河は99%日本人です!」と言うように、冬になるとたくさんの日本人サーファーが東河に訪れること、そして何よりも「日本語ができるオーナーの日本の創作料理を提供する居酒屋は、日本の旅行客に親近感と安心感を与えられる」と真剣な表情でその思いを話してくれました。この地では、毎年10月から翌年の3、4月までは東北モンスーンが吹き、日本からのサーファーが後を絶ちません。Yasuの日本語のウェブサイトとブログの影響もあり、彼の経営する居酒屋は冬になると朝から晩までいつも大忙しです。Yasuは、朝は地元ガイドやサーフィンコーチをして日本人観光客を一番良いサーフィンスポットまで連れて行き、東海岸線の美しさを思いっきり楽しんでもらいたいと、山や海の楽しみ方も紹介しています。日中に思いきりアウトドアを楽しんだ後は、彼の居酒屋でお任せメニューで素敵な夜を楽しめます。Yasuは「この居酒屋の食材は、当日の朝に成功漁港から買い入れた食材です。僕は、冷凍の魚類が好きじゃないので、少し変わった地元の海鮮を使って料理をしています。」と話しながら「これは、滅多にみられない石頭公(カサゴ)です。棘には神経を麻痺させる猛毒がありますが、魚肉にはコラーゲンがたっぷりあってすごく美味しいんです。魚は、姿かたちが気持ち悪いほど美味しいんですよ!」とその日の戦利品を見せてくれましいた。まるで怪物のような形相の魚からは、グルメ料理になるとは全く想像もつきませんでしたが、その時のYasuは既に包丁を研ぎ終わっていて、地元グルメである石頭公を美食家のディナーに振舞う準備をしていました。 [...]

By |2020-08-25T08:15:28+00:008月 25th, 2020|在地外籍人士故事-日文|0 Comments

Cameron Hanson

美しい山と海が交錯する東部では、豊富な地理環境と無限に広がる景色が季節移り変わりと日夜の様々な変化を楽しむことができます。初めてここを訪れたある人物が、まるで夢のような不思議な旅でもしたかのように、台湾・台東での旅行で人生の新しい目標と方向性を見つけ、今では、新しいスタートを歩んでいます。 Cameron Hansonは、小さい頃から芸術の色濃いシアトルで育ち、大学では芸術を専攻していました。旅行好きが高じて、30カ国以上の国を歩き回りましたが、アジアは未踏の地でした。「二年ほどかけて、どこで英語を教えられるか考え続けて、台湾のマルチ文化や小島の風情が第一の選択になりました。その他にも、日本、韓国、ベトナム、香港なども考えていましたが…」とCamは話してくれました。想定外だったのが、アジアの最初の土地として台湾旅行で台東を訪れたはずが、彼のゴール地点となり、Camは台湾・台東に住み着いてしまったのです。 [...]

By |2020-08-25T06:48:23+00:008月 25th, 2020|在地外籍人士故事-日文|0 Comments

Dan Paiero

最近の台湾・台東は、陰気な雨が降り、ジメジメと湿気った空気を吹き飛ばす太陽の陽射しが恋しくなるような日々が続いています。高緯度の国から台湾へ来たDan Paiero氏にとっては、台湾東部の炎のように情熱的な夏は過酷なチャレンジでもありましたが、それでも彼の台東へ愛を阻むことはできませんでした。 「台東に住んで7年になりますが、以前は花蓮に住んでいました。花蓮よりも台東の方が好きですね。花蓮は、人が多すぎて、なんだか狭苦しくて閉じ込められているような感じがして…。」土地が大きく人口が少ない北の国カナダで育ったDanは、台東に定住してから改めてリラックスしてゆっくりと深呼吸ができる感覚を取り戻しました。 「台東に来て数年で、この土地に住もうと決意しました。ここが私の家です!」台東での歳月の中で、Danは英語塾で英語を教えたり、暇を見つけては絵を描いたり、また山や海で写真をとったりして過ごしています。原住民の文化にもとても興味があり、台東の山や山々の起伏、どこまでも無限に広がる大海原は、彼を虜にしてやみません。 [...]

By |2020-08-25T07:00:38+00:008月 25th, 2020|在地外籍人士故事-日文|0 Comments

Pete Brown

どの地域にも必ずある行列のできる店があります。台湾・台東では、ピザ専門販売店の「披薩阿伯(ピザおじさん)」が台東グルメとしてネットで人気があります。 ピザおじさん本人にお会いするまでは、顔中シワくちゃのお爺さんだとばかり思っていましたが、目の前に現れたピザおじさんは、なんと、太陽がよく似合いそうなイケメンでした。彼は、申し訳なさそうに「子供を東河の学校へ送っていたので、遅れてしまいました…。」と約束の時間に遅れたことを謝っていましたが、その優しい声と眩しい笑顔は、想像していたピザおじさんとは全くかけ離れていました。 1999年、当時、まだ大学を卒業したばかりだった彼は、周りの友達が2、3ヶ国語以上の外国語が話せるのを見て、自分も第二ヶ国語を学ぼうと思いたち、「台湾は熱帯の小島だから、中国語を学ぶ以外にもサーフィンができるかもしれない!」と思い、台湾を訪れました。彼の考え方からも見受けられるように、Peteはサーフィンにとても興味があることがわかります。そして心の赴くままに、直感を信じて行動した彼は、いつしか東海岸のサーフィンの聖地に住むようになったのです。 [...]

By |2020-08-25T08:00:57+00:008月 25th, 2020|在地外籍人士故事-日文|0 Comments

Flight Café-福來東咖啡 (福長美千代)

宿命、それとも運命だというべきでしょうか。人生のパズルは、はっきりとはわからないことが多いが、果敢に冒険をすることで、はっきりとした形が見えてきます。福長美千代さんは、夢を実現し始めた頃のことを思い出しながら「創業のアイディアが芽生える以前に、Flight Caféの名前がすでに脳裏にあったんです!」と可愛らしい笑顔で軽やかな声で、当初の出来事を話してくれました。元々は、台湾・台北で5年間仕事をしていた彼女でしたが、台湾列島一周をしにきた父親が、台東での滞在期間を非常に気に入り、彼女にも一度は台東を訪れてみるべきだと勧めていたこともあり、二、三度、台東を訪れた彼女は、台北の仕事を辞職し、台東へ移り住むことに決めました。 店主の気質が溢れ、個性溢れる温かみのある日本の雑貨風(Zakka風)がの明るくシンプルな雰囲気が漂うFlight Caféの店内は、ウキウキするような気分にさせてくれます。福長さんが夢を実現させたコーヒーショップですが、以前、困難に遭遇しました。「ニパルタック台風が通過し、コーヒーショップは大きな被害を受けました。そのこともあって、私たちはここに引っ越してきたんです!」仲間と友人の協力もあり、福長さんは台風にも負けずに、引っ越し先を見つけ、Flight Caféの再起に奮起し、真心のこもった料理を友達に振る舞い続けました。「私は、作ることが一番好きなので、どんなに辛くても嬉しいと思えるんです。」と彼女は話してくれました。日本人の細かい心遣いと謙虚な性格が、福長さんの性格によく現れています。事業の経営であろうと、台東での生活であろうと、彼女はいつもポジティブ思考で向き合っています。彼女が理想を追い続けられるのも、このポジティブ思考でいられるからなのです。 [...]

By |2020-08-25T07:09:26+00:008月 25th, 2020|在地外籍人士故事-日文|0 Comments

Fede小飛 - 海角咖啡

「『風』が僕を虜にしたんです。」とフィードは力強く答えました。 多くの外国人が台湾・台東に留まる理由に、青く広がる山岳、きれいな海、」どこまでも広がる美しい風景、そして、人々の暖かさなどがありますが、台湾・台東の東北モンスーンを理由に挙げたのは、フィードが初めてでした。 金髪のイケメンオーナーのFede-フィードが切り盛りする都蘭海角咖啡(Dulan Cape Café)は、インターネットでも有名なカフェです。フィードは、「アルゼンチン生まれですが、1歳にはスペインに引っ越しました。でも、国籍はイタリアなんです。台東に来てから、もう2年程になります。」と笑って答えてくれました。フィードの生い立ちは複雑で、彼がどこの国の人であるのかは、上手く説明できません。彼が、初めて台東に訪れた時は、ショートステイだったのにも関わらず、2度目に台東を訪れた時には、都蘭でワーキングホリデーをしていました。また、その3ヶ月後には、そのまま台東の地に残ることを決め、流暢な中国語を使い熟すだけでなく、都蘭海角咖啡(Dulan Cape [...]

By |2020-09-11T06:53:56+00:008月 25th, 2020|在地外籍人士故事-日文|0 Comments

清水淳

ユートピアのような好山好水(山紫水明の意)の地という以外に、近年、台湾・台東が国際的に有名なものにサーフィンがあります。台湾・台東の東海岸が世界サーフィン選手の聖地となってからは、世界各地のサーファーが波を追いかけてこの地へ波乗りをしに訪れるようになりました。日本・東京から来た清水淳(Jun)は、台東にサーフィンに来ただけでなく、原住民のブヌン族の娘に恋をしました。今では、彼は、大好きな台東の地に貢献するため、この地にしっかりと根を張って生活をしています。 台東に来る前、Junは日本・東京のパブでギタリストと歌手をしていました。彼の弾き語りの技術は素晴らしいもので、台湾・台東へ訪れたのは、友達が台東布農部落で演奏してみないかと誘われたことがきっかけでした。布農部落の経営方式と考え方が気に入り、布農部落の日本語ウェブサイトとカタログの編集の仕事を手伝いながら、部落での日々を過ごしていました。部落での生活が長くなるにつれ、原住民の部落を訪れる日本人が観光客だけでなく、研究などに従事する人も多いことに気づきました。彼は、台湾へルーツを捜し求めに訪れた80歳ほどの「湾生(日本統治時代の台湾で生まれ、第二次世界大戦後に日本本土へ引き揚げた日本人)」を手伝ったこともあり、日本の年長者から何度も感動の物語を聞き、この地への想いを募らせて来ました。 しかし、なぜ台東に定住したのでしょうか? [...]

By |2020-08-25T08:28:14+00:008月 25th, 2020|在地外籍人士故事-日文|0 Comments
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