ユートピアのような好山好水(山紫水明の意)の地という以外に、近年、台湾・台東が国際的に有名なものにサーフィンがあります。台湾・台東の東海岸が世界サーフィン選手の聖地となってからは、世界各地のサーファーが波を追いかけてこの地へ波乗りをしに訪れるようになりました。日本・東京から来た清水淳(Jun)は、台東にサーフィンに来ただけでなく、原住民のブヌン族の娘に恋をしました。今では、彼は、大好きな台東の地に貢献するため、この地にしっかりと根を張って生活をしています。

清水淳

台東に来る前、Junは日本・東京のパブでギタリストと歌手をしていました。彼の弾き語りの技術は素晴らしいもので、台湾・台東へ訪れたのは、友達が台東布農部落で演奏してみないかと誘われたことがきっかけでした。布農部落の経営方式と考え方が気に入り、布農部落の日本語ウェブサイトとカタログの編集の仕事を手伝いながら、部落での日々を過ごしていました。部落での生活が長くなるにつれ、原住民の部落を訪れる日本人が観光客だけでなく、研究などに従事する人も多いことに気づきました。彼は、台湾へルーツを捜し求めに訪れた80歳ほどの「湾生(日本統治時代の台湾で生まれ、第二次世界大戦後に日本本土へ引き揚げた日本人)」を手伝ったこともあり、日本の年長者から何度も感動の物語を聞き、この地への想いを募らせて来ました。

しかし、なぜ台東に定住したのでしょうか?

「台東の人と景色が良かったんです。台東の全部が大好きなんです!」彼は、日本人ならではの訛りで、一番簡単で、ストレートな言い方で台東への想いを語ってくれました。

サーフィンの話になると、Junは目を輝かせ、「全世界のサーフィンのロングポイントは、自然によって生まれるのもので、人工的には作れないんです!」と熱く語り始めました。東海岸沿いのロングポイントの場所をよく知る彼は、よく自分だけの秘密のサーフィンスポットにサーファーを連れて行き、そこで思う存分サーフィンを楽しんでもらっています。日本からのサーファーは、言葉が通じることもあり、ほとんどがJunの民宿に宿泊します。日本からは、毎年およそ300〜400名ほどのサーファーが台東のイベントに参加しています。特に、東北モンスーンの季節は、風を味方につけて波に乗れるため、多くのサーファーを台東の虜にしています。現在では、東河でサーフィンをテーマにした民宿を経営しているJunですが、台東での創業当初は、苦労が耐えず、とても大変な思いをしました。「当初は、何をしてもダメでした。ここの人は、サーフィンを知らなかったので、宣伝が難しかったんです。」それでも、彼は、諦めずに一歩一歩前へ進み続けました。

Junは「台湾は海洋国家だけど、台湾の子供達は、日本の子供達と比べて水泳ができる子が少ないんじゃないだろうか?」と疑問を持っていました。3年前から、台東の子供達に海洋国家で悠々自在に自然と共に暮らしてほしいと、Junも参加する台東県衝浪協会(台東県サーフィンスポーツ協会)が「回到原點,深耕計畫(原点に戻ろう、深耕計画)」を始めました。このカリキュラムは、夏休みが始まるころから始まり、台東衝浪協会の指導の下、子供達に水泳、スケートボード、海辺の環境教育、阻止いて地元の生態イベントなどを開催しています。「今年は、子供達が歌を2曲教えて、子供達に鉄花村で発表会をしてもらいます!」とJunは嬉しそうに宣言しています。この土地を愛するが故に、この土地で生活する小さな苗に大きく育って欲しいと願い、彼らが成長していく姿を見ながら、自分が自然教育をしながら台東の地に恩返しができることに、Junはとても満足しています!

台東人の情熱、美しい自然の風景。Junは、私たちに、台東の貴重な資産が何なのかを教えてくれました。彼が台東に来てからの13年、台東の太陽の光、そして、波を追いかけながらも地道に歩んで来た日々は、すべて彼の動力です。これからも台東のために自分ができることをして、実際にアクションを起こし、この地に恩返しをし続けることが彼の願いです。